誰しも陥る可能性がある。
あちこちでアンリーって言葉をみるようになった。
SMAP騒動でも感じるSNSでのファンの暴走は、アンリー化によるものもあるかもしれない。*1
「元祖アンリー」が同担である申し訳なさと、誰しもアンリーの沼に陥る恐ろしさを改めて感じてしまった。
そういう私もアンリーになる可能性が無きにしも非ずな時期があったので、自分を戒める意味でも、そのメカニズムについて少し考えてみたいと思う。(といってもおばちゃん考える事。浅はかなのはご了承ください)
ツイッターをはじめとするSNSでは皆、自分と似た思いの方々とつながっていると思う。SNSはそういった傾向にある。
するとTLは自然に自分と考え方の似通った人の意見の集約となる。
そして、そんな偏ったTLを見て、自分の考えが正しいとを確認する。
また困ったことにそれが続くと、さらにその考えが強固なものになり、自分達こそが正しいと他を受け入れられなくなる。
グループで何か騒動があると、誰かのせいにしたくなる。「○○のせい」って、ついつい言いたくなるものなのだ。
最初はちょっとした井戸端会議のノリで言った愚痴や悪口が、同意者が増えていく事によってそのコミュニティでの正論になってゆく。
そして○○を許せなくなる。やることなすこと気にいらない。
自担が好きという気持ちより、○○が嫌いという気持ちの方が大きくなってしまう。
上手くいかないのは○○のせいと思い込む。
アンリーの誕生だ。
たぶん、普通の人なのだ。なんの変哲もない普通の人。
担当に深く思い入れたために視野が狭くなってしまい、そこから見える景色こそ真実と思い込んでしまった方々だと思う。
だから誰しもそうなってしまう可能性がある。
自分はけっしてアンリーにはならないと思っていても、ちょっとしたきっかけでどう変わってしまうかわからないのがSNSという世界のこわいところである。
そこから脱出するには自分で気づくしかないのだが、自分たちこそ正義なのだから、正しいことをやってると思い込んでいるから、それがとても難しい。
ちょっと視野を変えてみるだけで、見える景色は一変するのだけれど、囲い込まれたコミュニティーからは中々脱出できない。
気楽になればいいのにといつも思う。
「たかがアイドル」である。
「たかがアイドル」なんて思えない、思えるわけがないと言われるかもしれない。
しかし、そういった気楽さが寛容を生み、視野を広げるきっかけにもなる。
実際に私もそう思うことで、今のところアンチの沼に陥らないですんでいる。
なかなか順風満帆にいかないジャニーズ界隈。何か騒動があると、ファンは普段よりずっとアイドルに入れ込んでしまう。
心配で心配で心が苦しくなる。
そんな苦しい時こそ、「たかがアイドル」思考でいこう。
「たかがアイドル」と思える心の余裕が、「されどアイドル」の素晴らしさを楽しむために大切なものなのかもしれない。
そうはいっても、アンリーを改心させるのはとても難しい。
せめて自分はアンリーにならないように自戒せねば。
そして、もうひとつ気を付ける事がある。
アンリーを批判しているうちに、自分も同じ穴の狢になってしまうことがあること。
こっちも厄介なことです。